「一字の師」

新潟県出身の水島新司という漫画化がいらしゃいます。
よく野球の漫画を書く方です。その作品のひとつで「あぶさん」という作品があります。
その中で「一字の師」ということをかいていました
漫画の中ですが、ダイエーの王監督が今はダイエーもソフトバンクに代わりましたね。居酒屋でファンの会話を聞いて監督としてどうしたらいいか何かをひらめくというような内容でした、そのファンの一言それが「一字の師」だというのです、すれ違いざまに聞いた 何気ない一言が、人生の師になる、道しるべになることがある。私たち人間は 生きて行く上で回りのいろんな人に影響を受けまたは与えて生きて行きます、
ある時 車でラジオを聞いていると、投稿のコーナーであるOLのはがきを紹介していました、お昼休みにお弁当をかいに外に出て街角で信号待ちをしているとき、コンタクトレンズを落として 雑踏の中しゃがみこんで探し始めたのです、確か神奈川県の川崎のかただったと思います。ですから大変交通量も多いわけですから、いろんなひとがとおりすぎるのです。その中で一人しゃがみこんでいる姿というのは、異様に映るわけです。その方は「今までそんな人の姿を見ても何もしないで通り過ぎただろう」と言っていました。ところがいざ困って自分が探していると、初老の方が後ろから「どうしましたか」と声をかけていっしょに探しはじめてくれました、10分か15分か探してふと振り返ると、10数人の人がいっしょに探してくれていたのです、暫くすると見つかって「ありがとうございました。」と御礼を言うとパーっと蜘蛛の子が散るようにみんないなくなったと言うのです。そのOLの方はとても感激して、今まで人が困っていてももしかしたら何もしないで見過したかもしれない自分が恥ずかしくなった。これからは困った人がいたらたすけてあげようと思ったというのです。言い換えれば、この初老の人はOLの方の「一字の師」になったのではないでしょうか、その初老の方が何気なく行った行為に心を感化された人生の道しるべとなった、これから人が困っていたら助けてあげようと。
そして、私達は日々の生活の中でいろんな場面や、他人とのふれあいの中で実はいろんな真心にふれたり心を動かされたり、そんなことが多々あります。それを自身でどう受け止めることが出来るのかということが大事なのです。自分の生き方の道しるべとなるような出会いや、場面において、それを自分の生き方の参考になるように受け止めることの出来る心であらねばなりません。またあなたの行いやことばに救われる方もいるのです。
日ごろからそれを受け止め、またそんな行いやことばを人にも与えられることが出来たなら、わたしたちの社会はとてもすばらしい人と人との関係がいっぱいになって、思いやりに満ち溢れた世界になるのではないでしょうか。
仏様の言葉を借りるならばそれは「利行」であり「愛語」という事にも成ります。
そこには人が本来持っているよき心の行いに他なりません。無意識の善行こそ大事と思います。

合掌