聚山坊禅散策 第2回

~大本山総持寺長福寺檀信徒参拝旅行~

11月28日~30日にかけて長福寺で主催した始めての檀信徒参拝旅行が無事に終わりました。ご参加の皆様及び檀信徒の皆様ありがとう御座いました。今回の参拝旅行では、私の修行した『大本山総持寺』にお参りさせていただきました。私が修行していた15年前と本山の雰囲気は変わっておらず、少し建物が新しくなっておりましたが、久しぶりの本山でのお勤めに修行時代を思い出しました。今回のご参加者からまたはこの度の旅行に都合がつかずいけなかった方々から、長福寺檀信徒旅行継続のご希望を頂き、来年も計画することとなりました。各地の名刹や名所を皆様と尋ね、親睦を深め当山の護持興隆に役立てて参りたいと思います。檀信徒皆様のご参加を御待ちしております。
この度の参拝旅行は当山を二十八日に出発してこの日は本山に泊まりました。二十九日は先祖供養を法堂で厳修して戴き、朝課もお参りいたしました。総持寺の法堂は畳千畳もあるといわれる大変広い法堂に、約六十名強の修行僧からお勤め戴き、参加者も荘厳な雰囲気を感じられたのではないでしょうか。続いて東名高速から雲りの天気にあきらめていた、富士山も少し顔を出してくれました。
静岡県袋井の名刹「可睡齋」にお参りしました。その名の由来は十一代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中 から救い出し かくまいました。その後、浜松城主になられた徳川家康は、親しく和尚を招いて旧恩を謝し、その席上でコクリコクリと無心にいねむりをする和尚を見て徳川家康はにっこりせられ「和尚我を見ること 愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と申されました。それ以来仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は「可睡和尚」と称せられ、後に寺号 も東陽軒から「可睡齋」と改められたとのことです。
可睡齋では家康縁の物や道元禅師の直筆の巻物も閲覧できました。その後愛知県に入り豊川稲荷にお参りして、二日目の宿泊は三河湾を望む蒲郡の西浦温泉の東海園に泊まりました。本山の夕食(薬石)から朝食(小食)この日の昼食(可睡齋にて)までずっと精進料理を戴いていましたので夕食はすごく豪華に感じました。改めて普段の贅沢を思い知り、食べ物のありがたさを再認識しました。三河湾の日の出はあいにく雲が係り少し残念でした。この日はだんだんと天気も良くなり、岡崎城ではちょうどもみじが紅葉して、天守閣から見た紅葉は下から見る眺めとまた違った彩でした。家康のからくり時計もよかったです。徳川松平の菩提寺大樹寺では歴代徳川将軍の位牌を見てまいりました。将軍様が亡くなったときの身長の等身大のお位牌に少し驚き、また中には120cmぐらいの位牌もいくつか有り、当時の人は背が低いことにまた驚きました。このたび訪ねたどのお寺もすばらしく、歴史とそれを伝える先人の人たちの苦労に改めて感謝するとともに、当山長福寺の護持興隆に檀信徒皆様と力を合わせて勤めようと決意しました。2日間で皆さん気心が知れて打ち解けあい、帰りのバスは大変盛り上がりました。
この旅行は当初10月7日出発の予定でしたが、思いもよらない台風にて延期になりました。そんなことにもかかわらず多くのご参加を戴いたこと感謝いたします。22年度は4月の中旬、台風の心配も無くて天気もよく、春を迎えて新たに芽吹く新緑の時期に計画させていただきます。この度の旅行の写真は客殿にて御覧いただけます。次回の檀信徒旅行も大勢の檀信徒の皆様のご参加、お願い致します。

得聚山 山主 合掌