平成二十六年新春

平成に年号が変わったとき、天皇様の健康を考えると大正より短いのではと思ったものです。今のお姿を見るともう少しご健勝で大丈夫かと思います。平成に入ってから災害が続き、各地で被害が相次いでいます。当山も中越地震で被害を受けて、今まだ墓地の修復中ではありますが、檀信徒皆様のご協力により、伽藍の復興再建を致しました。当山は来年曹洞宗に改宗して三百八十年となります。地震で延期となりなした開創五百年の法要と併せて厳修致します。
平成二十五年三月四日先代長福寺二十六世明峰正春大和尚が御遷化されました。本葬の際には多くの方々のご参列ありがとう御座いました。また長年に渡り檀信徒の皆様からのご厚情に感謝申し上げます。
平成二十年の晋山式で新命住職に掛けられた問答に住職の務め、役目とは何かという問いかけがありました。
その時、新命の私の答えは宝鏡三昧の中から「潜行密用は愚のごとく魯のごとし。ただよく相続するを主中の主と名づく。」の経一文を唱え、住職の勤めや寺院の行事などは、いつも変わらず只、法を守ること。それらは機もすると愚に見えたり魯に見えるかもしれませんが、只只ひたすらに法を守り、寺院を伽藍を護持し、檀信徒先祖の供養をし、そしてその法を後に伝えてゆく事。それが主中の主すなわち、主体性の中の主体であり、もっとも大事なことである。それ以外に意味を成さないということなのだと、それこそが住職の勤め役目であるという答えだったと思います。「佛法ありて、人集まり、人集まるが故に、伽藍あり、伽藍ありて住持あり。」という事です。仏様のお教えこそがまずはもっとも大事であり、それを守り伝えてこその寺院なのです。そして「法、檀信徒、伽藍」はどれが欠けてもいけません。仏様のお教えすなわち法があるから人の生死(迷い)に応えられ、そこには法を求める人の集う伽藍が不可欠なのです。そしてそれを守ってゆく者が必要なのです。
開創五百年、曹洞宗三百八十年。曹洞宗になってから私で二十七代目の住職になります。ここに至るまで、戊辰の戦いと先の太平洋戦争の空襲と二度の大戦などを経験してそのつど歴代の住職と、多くの檀信徒のご先祖様と護持してきた長福寺を、今改めてその御厚恩に応えるべく檀信徒の皆様と共に護持し守ってゆかねばならないと思う次第です。

合掌