人の幸せとは

人間にとっての幸せとは、いったいどんな事か。個人的には仏教ならず宗教すべてにおいて人間の幸せの手助けになっていなければならないという思いがあります。では人の幸せとは人それぞれにおいて違いがありますが、今の私たちの幸福の価値観、基準が昔とは大分変化していると思います。物質的な幸せとでも言うのでしょうか、言い換えれば金銭的に裕福であるということがイコール幸せであると、金銭的なことの成功が幸せと思ってしまうのが現代の傾向です。仕事での成功やすべてにおいて、たとえば勉強していい学歴を得て、一流企業に就職する、国家公務員になど、将来的ビジョンの大半が、何をしたいかどんなことが自分の出来ることなのか関係なく金銭的なことで決められているのです。 それは単にお金に価値観が縛られていると言うことです。現実的にはお金が無ければ、ほしいものも簡単に手には入りません、無ければ食べることも困ると言うこともあるでしょう。ですが、お金は本来、人が社会生活を送る為の便利な道具の一つにしか過ぎません。そのお金に縛られて本来の幸せを見失わないようにしたいものです。
では本当の幸せとは何でしょうか。どなたであったか覚えていませんがある大学の先生が人の幸福感は2種類しか存在しないと言っていました。
人が幸せと感じるのは、一つには達成感ともう一つは存在感の2つに分けることが出来るのだというのです。達成感とは何かを達成したときに感じる満足感に他なりません。仕事が巧く行ったとか、ほしいものが手に入ったとか、おいしいものを食べた時、プロ野球選手になりたいとか、オリンピックで金メダルを取りたいとかなどいろいろ有りますが、夢や望みがかなった時と言うことに成ります。これは仏様の教えに照らし合わせると、欲が満たされることと成ります。欲は煩悩とも言い換えることも出来ますが、欲のほうが解かり易いです。食欲、睡眠欲、名誉欲、欲といわれるものすべてを手に入れたときに感じるのがこの達成感という幸福感になります、達成感はまた新たな欲、煩悩を生みます。それは向上心にもつながりますが、一瞬で消えてまた新たな欲のために生きることになります。少し前に起きた、ライブドア事件や村上ファンドの事件を思い出します、普通の人が一生掛かっても手に入れることの出来ない金銭を一瞬で手に入れても、その欲にはキリがありません。かつて植村直己という偉大な冒険家も前人未到の冒険を成し遂げましたが、また新たな冒険に挑み、ついにはいのちを落として帰らぬ人となってしまいました。彼の功績は偉大でそれを否定するものでもなく、達成感を得ても新たな欲が生まれてくると言うことです。人は欲によって生き、また向上心も生まれそれらをすべて否定するものではありませんが、食欲や、睡眠欲などは誰でも手に入れることができますが、すべての人が夢や望みが叶うわけではありません。欲に囚われて、人を殺したり、泥棒をしたり、人をだましたり罪を犯すこともあるのも事実です。ですから仏教では欲すなわち煩悩に囚われてはいけないと言うことなのでしょう。
ではもう一つの存在感からくる幸福感とはどんなものでしょうか。己が今そこに居ることを他が認めること、知ってもらえた時に得る幸福感と言うことです。何か偉大なことを成し遂げて有名になり自分の存在を知らしめると言うことも有りますが、もっと誰でも出来ることがあります。たとえば挨拶もその一つです。朝、おはようと声をかけ、おはようと返ってくることもその一つです。何か他人に親切にしたり、他のために何かをしたりして、ありがとうと言われたり、感謝されたりした時に感じる幸福感が存在感という事です。この存在感からくる幸福感は、達成感からこる幸福感より、とても小さいですが、誰でも簡単に得ることが出来る幸福感です。他のために、人のために何かすると言うことが、幸せになる、幸福感を得ることが出来ると言うことなのです。
道元禅師の言われた、四摂法の「布施」「愛語」「利行」「同事」の四つの行ないは人が幸せになるための方法に他なりません。四摂法については前々回に述べましたので詳しくはそちらを見てください。一番身近な他(私の言う他とは己以外のすべてをいいます)とは、家族であり友人、知人ということになります。皆さんも経験があると思いますが、お子さんや奥さんに、夫に親に友人に親切にしたり、何かしてあげたときに得たことのある幸福感が存在感です。
格言で「情けは他人の為ならず」と言う言葉があります。他のためにすることはいずれ自分に返ってくると言う意味ですが、他の為にする行為すべてが、存在感を得ることであり、しあわせになる事そのものなのです。達成感からくる幸せよりはとても小さいですが誰でも得ることの出来る幸せがこの存在感と言うことになります。欲や煩悩に囚われることなく存在感による幸せこそが本当の幸せと言うことになると思います。
秋葉原の無差別殺人事件で犯人が「もうしあわせに成れないから」他人を殺して自分の人生を終わりにしたかったと報道されました。これを聞いたときになんて身勝手な、と思った人も沢山居ると思います。彼は幸せの価値観がお金や達成感から来る幸福感に縛られていたのです。今の私たち、社会の幸福の価値観が達成感からくる幸福感ではなく、誰でも得られる存在感からくる幸福感が本当の幸せだということに気づいていたらこんな事件は起こらなかったのではと思います。今自殺者が毎年約3万人もいます。いろんな理由があると思いますが生きていれば、他の為に何かしてあげることは出来るのです。道元禅師の言われた、四摂法の「布施」「愛語」「利行」「同事」の実践こそ人が幸せになるための方法であり誰でも得られる存在感からくる本当の幸せを得ることが出来るのではないでしょうか。

合掌